1/11/2018

スター・ウォーズ 最後のジェダイの感想2

前回からの年をまたいでの長いロングパスとなりました。最後のジェダイの感想の続きです、
EP7が数々のファンの好物な謎を提示したことにたいしてEP8はそのうちどれにどのように解答しどれを先送りにするのか・・・蓋を開けてみたらレイの両親はその辺のなんでもない人ですよとなり、スノークは正体不明のままあっさりとカイロに破れ、ライトセイバーを渡されたルークは何を語るのかと思えば崖に向かってポイっ。
監督自身はレイの両親に関して、EP5でのベイダーのセリフが衝撃的だったのは意外性だけでなくそれが最もルーク、そして観客が望んでいないことだったからで、では今回のレイはと言うとレイも観客も両親が何か重要であることを望んでいた。なので何者でもないという選択肢を選んだと言っています。スノークについて何も語らなかったのは彼について何かを明らかにしようとすると30秒のモノローグが必要になり映画のペースを乱すからと言ってます。まあ確かに旧三部作においても皇帝であるパルパティーンがどんな人かを知る観客は少なく(すでにEP4のノベライゼーションでは説明されていました)単にベイダーのマスターであるという認識だったので、それでいいじゃんというのは一理あります。
それでいいじゃん、と言えば宇宙に重力があってもまあいいんじゃないの、と私は思いましたけどね。だって何年も前から宇宙空間で物理法則に逆らって音は聞こえているわけで今更?ってことですよ。スターウォーズ・ユニバース内での整合性はとって欲しいですけども。まあでもそのあたりは公式なりファンなりが後付け設定作ってどうにでも出来るんじゃないでしょうか。大型船の近くでは船外作業を容易にするために重力場があるとか何とか。
さて、この映画がやろうとしたことはどこかで必要だったろうと思います。つまりルーカスの手を離れディズニーがシリーズを可能な限り作り続ける意思を持っている以上、既存の設定の枠内ではいつまで経っても「スカイウォーカー家は今日も大混乱!」的な話から外に出られないわけでルークの最初の行動で映画のスタンスを表明しカイロに新世界を語らせ、ヨーダに旧体制不要論を語らせ、ラストの箒くんによってフォースは誰にでも身につけられる可能性を提示。
なので、はい、やりたいことはわかります。でも映画単体として観た場合も、あくまでもスターウォーズの続編であるという目で観た場合も気になるところがあるのも確かです。

12/22/2017

スター・ウォーズ 最後のジェダイの感想1

仲が良かった友人に久しぶりに会ったら「え〜、前はそんな人じゃなかったじゃん!」みたく変わってて、でも、よく見れば面影あるよね、というそんな体験でした。だから今後も仲良くしていけるかどうかはこの再会だけでは何とも言えない。けといきなり付き合いを絶つのではなくて少し自分はどう感じるのか、相手はどこまでが今までの相手でどこからが新たな相手なのか、ちょっと見てみないとね、と。
そもそも三部作の二作目は批判にさらされやすい位置です。バック・トゥ・ザ・フューチャーだって2は3の壮大な予告編と揶揄されたし、今でこそファンの間で高評価の帝国の逆襲だって公開当時の評価は賛否両論でした。何しろ一作目が脳天気な冒険活劇でその続編だからと同じカラーを期待したらいきなりの救いのない展開に未解決の問題を突きつけられたわけです。評価が上がったのは三部作の中でどんな位置にはまるのかが見えてからだったのは致し方ないところ。
EP2の場合は様子がちょっと違ってストーリーはグダグダだったもののジャー・ジャーの陰がすっかり薄くなったこと、そしてラスト近くの空飛ぶR2と今までの多くの人がヨーダって本当に強いの?と感じていた疑問に答えて見せた対決シーン、さらに徐々に帝国軍が知っている形になっていくビジュアルで成立していました。それにこの場合はファンは後に何が起こるかも知っていてすでにEP2の位置がわかっていたのも大きいでしょう。
一方今回のEP8ですが、風呂敷を広げるのは上手いJJによる振り逃げのバトンを渡されたというか、JJによる魅力的な数々の謎を押しつけられてさあどうする? という状況からのスタート。フォースの覚醒のラストシーンだって前代未聞でEP8の開始位置を指定されちゃってるような物ですからね。あれ。今までなら各エピソードの間は三年とかそれ以上の時間が経った後の世界であり、最初の黄色い文字でその間の出来事を説明していたのですが今回は時間が空いてないから説明すべきことなんて本当はほとんどないわけで、そこからしてさあどうするの?状態。他にもセイバーはどこから来たのか、レイの出生の秘密は、スノークって何者か、カイロが言ってるベイダーが成し遂げられなかったこととは、ざっと考えただけでもこれだけあるわけです。あ、ポーグ大丈夫か?ってのもありますね。

長くなってしまったので次回に続きます。

マジックを英語でやってみよう教室構想中

マジックを英語で演じなければならない。ふいにそんなときが訪れます。日本語で演じるときだってセリフと動作が最適のタイミングで連動するよう練習するのに、慣れない言語でやった結果、あとから「もっとああすればよかったかな」などの思いがやってくることもあるでしょう。「英語を今度こそ勉強してみよう」と考えることすらあるかもしれません。
英語でマジックを演じると言ってもどれくらいを目指すかで難易度は当然差が出ます。必要フレーズ丸暗記が楽そうに感じるかもしれませんが、意味づけを伴わない丸暗記は案外負担が高く、長期的に覚えておくのも難しいですし、記憶内で英文のどこかがいつの間にか間違えて変化してしまうこともあり得ます。しかし意味や理屈と関連付いていないとその間違いに気付けません。では、せめて単語だけでどうにか、と思ってもこれまた別の問題が生じ得ます。
たまにマジシャン友達からこういうとき英語で何て言うか? と聞かれることもあり、一度英語でマジックをやることにフォーカスしたレクチャーをやってみようかと常々思っていたのですが解決すべき課題もありなかなか実現しませんでした。で、今度こそどうにかと思ってその辺りの話をしたの動画でしています。そもそも日本において英語でマジックをする必要があるのか? って話なども。

12/21/2017

将魔シルクの紹介ビデオ作成

先日、友人の名古屋のマジシャン、将魔さんのショップである手品屋からリリースされる将魔シルクの紹介ビデオを作りました。
マジックで使用する道具をいくらリアルな方向に振ってもシルクだけが従来のままだと存在が浮いてしまうということがありましたが、このシルクは普通のハンカチに見えるデザインをプリントしてその問題を解決しました。
撮影はマジックバー・サプライズで。今回は私は撮影とムービー作成で、カメラの前で離したり演技したりはないので、画作りに集中できました。カメラ位置決めては「じゃ、将魔さん、準備お願いしま〜す。」、角度変えてもう1テイクというときも「もう一回撮りたいので準備お願いしま〜す。」いや、カメラに集中できるのって素晴らしい。
こういうときのムービーは必要に応じてMotionで文字などの素材部分を作って編集はFCPでというのが多いです。そして素材が揃ったらまずは曲を決めて、ざっくりと素材を並べてみて大まかな流れを見ます。問題なさそうとなったら曲の長さがそれに合うように編集。やはり、曲の終わりとムービーの終わりが合うと気持ち良いですから出来れば曲が余ってしまった分を最後にフェードアウトで処理というのは避けたいところ。
さらに要所要所のカットの切り替わりと曲のリズムを合わせ人の声と曲の音量の微調整。大体そんなところで完成です。が、まれにここまで来たところで変更の必要に気づくことがありそれが尺に影響することだと「5ます戻って一回休み」みたいね目に遭うことがあります。なので、ただ作るだけでなくて、仕事としては後の変更にも効率よく対応できるように作業を進めるのが鉄則。
そんな中で出来上がったビデオがこちらです。
賞品はすでに手品屋のサイトで販売中です。販売ページはこちら

12/09/2017

オリエント急行殺人事件(2017版)を観ました

映画の内容に言及しての感想なので特に現段階でオチを知りたくない方は映画を見るなり本を読むなりしてから再度お立ち寄り下さい。オチを知っている方は今回のケナス・ブラナー版は未見でも読み進めて頂いて問題ないです。

さて、私が最初にシドニー・ルメット版を観たのは中学生の頃のテレビの映画放送枠ででした。当時は推理小説経験が浅く、犯人当てクイズとして接していた面も多分にあったため最後に犯人を知ったときには、もやっと感が残りました(それが原作が世に出た当時には革新的なものだったというのはわかりますが、というか知識として知っていましたが)。試験の選択問題でどうにも正解が導けずに頭をひねった挙げ句に「答えなし」もまた答えであると言われたかのような「え? そうなの?」みたいな感じ。出演者達についてはショーン・コネリーこそ007シリーズで知っていたものの、アンソニー・パーキンスもイングリッド・バーグマンも知らなかったために、映画が本来持っていた豪華さもろくに味わえていませんでした。また、そもそもの動機となった誘拐事件の重さも当時の私にはあまり実感がわかず、ここを理解してなかったことが最後のオチが釈然としなかった原因の一つだと今ならわかります。
ところが最近見返してみると誘拐事件の経緯をスタイリッシュに描くあのオープニングはとても優れていると思えますし、出演者達がそうそうたる顔ぶれであることもわかります。特にイングリッド・バーグマンのオーラの消し方といったら驚きで、これは中学生の私ではカサブランカの人とは気付かないわけです。

さて長くなりましたが、今回のケナス・ブラナー版。ポワロと言えば多くの人にとってはデビッド・スーシェが正解手となっているだろう中で、そもそもケナス・ブラナーをポワロとして見ることが出来るか問題があります。映画冒頭でわざわざポワロらしさを見せるエピソードを挿入したりして、このキャラクターをポワロとして見てくれという約束を迫られているかの如しですが、まあ「ちょっと意識すれば守れる約束」ってところでしょうか。廊下は決して走らない、とかレベル。
随所に美しいシーンあり、トリッキーなカメラの動きありでこれはシーンのほとんどを列車内に押し込めたシドニー・ルメット版とは対照的です。でもそれが映画の中で効果的に機能しているかというと、画的には「おっ」と思わせるのですが、あからさまにあざとくも感じます。うん、この映画を一言で表すならあからさまなあざとさ、かも。冒頭のいかにもポワロらしいシーンとか、わかりやすいセリフによる手がかりの提示とか、そこまでわかりやすくしないといけないの? と感じるところ多々あり。観客の想像力に任せることなくしっかり説明、飽きないように要所要所に派手だったり美しかったり緊迫感のある(しかしこれまたわかりやすい)シーンを入れる。しかし一方でアームストロング家の誘拐事件がいかに悲劇的であったかはいまいち伝わってこない。言葉に還元しすぎたために想像・感情で理解しないといけないことも理屈での理解に替えられてしまった感があり、そしてここが感情的に納得できていないと犯行の動機やポワロの最後の決断が「え? それあり?」なものになってしまいます。

その点、シドニー・ルメットの手法は立ち往生した列車の閉塞感を見せることに成功しているし誘拐事件の悲劇性に支配されている空気も感じられるので最後も納得できるので(但し中学生の私を除く)、そう考えると総合点では私としてはルメット版を上にしたいところです。
興行的にはそこそこの成績を出して続編の制作にも会社は前向きだそうです。今回の映画のラストの展開のその後が現実化するのでしょうが、でも、あれ、原作的には起こってしまった事件を解決するためにナイル川クルーズに参加するのでなくて、一緒に事件を体験する現場にいないと時間順が合わないですよね。どうするんでしょう?

10/18/2017

英語のセリフと関係代名詞の必要性

さて問題です。以下の文を英語で何と言うでしょう?
・ショーの最初に(私が)テーブルに置いたカードは、私の予言です。
タイトルに関係代名詞と書いてしまってるのでそれがヒントになってしまいますね。
関係代名詞と言えば学校で文Aと文Bを一つの文にするために使うとして練習問題を機械的に沢山解いた経験がある方もいるでしょう。例えば、
I dropped the iPhone X. + I bought it yesterday. > I dropped the iPhone X (which) I bought yesterday.
です。which はある方が構造は見えやすいですが往々にして省略されます。
私自身、どうせ同じこと伝えられるならややこしいことしないで2文のままでいいじゃん、と思ったものです。
I bought the iPhone X yesterday. I dropped it. でも
I dropped the iPhone X. I bought it yesterday. でも
言いたいことは伝わります。しかし一文でスッと流れる方が話すときの実際の気持に近いので(そうでないときもあるでしょうが)、言いたいことの漠然としたイメージをわざわざ二つにわけるのは一手間かかります。その分、言いたいこと、リズム、スピード感が実際の気持ちと離れてしまいます。
上の例で言えば
I put a card on the table at the beginning of the show.
It's my prediction.
と二つに分けても言えますが、分けてしまうと、一気に言えない感がストレスになります(演出効果を狙って二文に分けるというのも当然ありです)。もちろん、二文に分けようが単語だけになろうが必要なことを伝えられることが最も大切であり、それで十分ストレスなしという場合はそれで良いです。しかし言いたいことを分割する一手間のストレスや、その結果の実際に言いたいこと、リズムとの薄利を少なくしたいときには言い方を工夫する必要があります。そのために色々な言い方があるとも言えるでしょう。

もう一つ、最初のうちは言いたいことがまず日本語で浮かぶと思いますがこの手の文が難しく感じるのは主語と動詞のセットらしきものが2つあるからです。
I put a card.なら思いつきやすいし、It's my prediction.も言いやすい。しかし、「私がテーブルに置いたカード」は「私の予言です」が英語にしづらいのはまさにこの二つの文っぽいものが組み合わさって一つの文を構成していることが原因。英語は一文に動詞が一つが基本なので
I put a card on the table is my prediction. はあり得ません(<簡略化のために「ショーの始めに」、は省略)。これにはputとisが同居してしまってます。言いたいことに主語と動詞らしきものが2セット含んでしまったら片方は工夫して対処する必要がありでその方法が分詞だったり関係詞を使うことだったりします。これらは英語を複雑化するためにあるのではなく言いたいことをその気持ちのままに言うためにあります。

あ、書きたいことを書き切っちゃったので、危うく上の文の英文を書き忘れるところでした。冒頭に挙げた日本語、ここで言いたい背骨の部分は
The card is my prediction.
です。なのであとはどうThe cardを説明するかを考えれば完了です。というか話すときは時間をかけて英作文してるわけではないですが言いたいことのメインはThe card is my prediction.であるという感覚は重要です。そしてThe cardに説明を加えよう、どうやって?と来てThe card (which) I put on the table at the beginning of the showとなるわけです。これが主部。動詞は元の文と同じくisで全体では
The card I put on the table at the beginning of the show is my prediction.
となります。

10/16/2017

英語っぽく言おうとして却って間違えてしまいがちな単語

海外の人を前にマジックをするときに多少なりとも英語を混ぜて演技することもあることと思います。マジックを見せているという状況下であれば案外カタカナ発音でも通じることも多いです。しかし、せっかくなら通じやすい方が良いよねと発音も英語に寄せようとしたときに英語っぽくしようとしすぎて間違えてしまいがちな単語をご紹介。

まずはmagicですがgiのところ、マズィックではありません。あくまでもマジック。
あと割と有名なのがトランプ一組を表すdeckの最初のところ。ディではなくてデ。デックね、デック。
ちょっと通なところを突くとハートの3とかのハート(heart(s))。この入りのところのハーは、rが入っていたなと頭から・・・、え〜、カタカナに書けないのですが「彼女の」を意味するherのように最初からrの音が入るのでなくてハーrとハーと伸ばしてからrに入ります。頭からrを入れるのはhurt(傷つける・怪我をさせる)という別の単語があるので要注意。
rの音と言えば赤と黒と言うときのレッドのレはrでブラックのラはlです。

さて、発音の話とは違いますが言い間違えやすいものの話。ギャンブルをテーマに話すときポーカーの手に言及することもあると思います。ワンペア、ツーペアはまあ良いとして同じ数字が3枚あるやつ、スリーカードと言ってしまうと、それ、文字通り取れば3枚のカードですので表が何でもカードが3枚あればスリーカード(本当はズ)。英語ではthree of a kind(スリー・オブ・ア・カインド)と呼びます。
それと同一スート(マーク)の10,J,Q,K,Aがそろうやつ。ロイヤルストレートフラッシュと言いがちですが単にroyal flush(ローヤル・フラッシュ)と言うことも多いです(ストレートを入れても通じます)。