6/22/2014

人生初のTOEIC受験(動機の巻)

生まれて初めてTOEICを受けてきました。もう十年以上前から自分の英語力の客観的な評価を測る何かを受けたいと思っていたのですが気付いたら十年以上があっという間に過ぎていたのでここらでひとつ、とやっと受けてみたというわけです。



周囲からは「秋元さんは英語が出来る」と思われているようですがそれは全くの誤解で、何でしょうね? 頻繁に海外に行っているように見えるからってのもあるでしょうし、Facebookにたまにごくごく短い英文を書いているからってのもあるでしょうし(その英文だって高校レベルの文法を間違えてあとでこっそり直していることも少なくないのです)、でも、私が英語でコミュニケーションするためにあたふたしている姿はおろか、上に書いたような断片すら見たことない人からも得意でしょと言われることがあり、もうイメージ戦略の賜物としか言いようがありません。いや、なにも戦略練ってないです。単なる誤解だから。

どんな分野もそうですが、そこに足を踏み入れていない人から見ると少し出来る人と、もの凄くできる人の差がわからなかったりして、少しでも出来る人は得意な人と見てしまいがちというのはありますね。私、何度トライしても将棋は全くダメでして、だから級を持っている人と段を持っている人の強さの差は実感としてはわからないし、私から見れば両者とも圧倒的に強いし、将棋が得意な人というカテゴリーに入ってしまいます。小学校三年生から見たら、中学数学をすいすい解く人も、大学入試レベルの数学をすいすい解く人も、大学で数学を専門に研究している人も数学が得意に見えるに違いありません。

そしてそれらの分野に足を踏み入れ、自分も勉強したり練習したりしてみると道のりの長さ、奥の深さを実感出来、自分はまだまだだなぁ、と思うようになるわけです。で、スター・ウォーズを字幕なしで理解できたらいいなぁとか、海外のマジシャンとコミュニケーションが出来たらいいなぁとか、海外のサイトで知りたい情報をさほどストレスなく調べられるといいなぁと思って英語の勉強を始めた身としては自分の「まだまだ感」を未だに日々痛切に感じているわけです。
あれですよ、良く言う、英語を勉強しているとある日突然、今までが嘘のように人が話している英語がすっと耳に入ってくるという瞬間、あれが未だに私には訪れてこないほどですからまだまだです。そのうち来るのかなぁ。

で、自分の英語力の客観的評価を得、周囲の誤解を解き、もしあまり高くないスコアなら「ね、周りはそう思っていてもTOEICスコアこんなもんですよ」と言えるし、思っていたより高かったら「でも、実際話せるかというとこんなもんなんですよねぇ」と言えるし、まぁ、どちらに転んでも良いかなと思ってました。

目的が自分の現在の力を測ることですから、わざわざ勉強はしないでそのまま受ければいいか、くらいに思っていたのですが、人から少しは勉強した方が良いと言われたり、せめて問題の傾向とか、マークシートの用紙の大きさとか、番号の並ぶ方向くらいは知っていないと余計なところにリソースを食われて実力すら出せないのではと不安になったりで、問題集を買ってみたのがすでに試験一ヶ月前を切った頃です。で、これを時間を計って解いてみたらさらに慌てることになるのですがそれはまた次回へ。

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