10/08/2017

本当らしさ、本物らしさ

映画におけるSFXや食品サンプルなど、如何に見ている人に違和感を与えずフェイクを本物らしく見せるかに注力しているものは沢山ある。そしてそれらの世界では「本物はこうではないのだけど、ちょっとここをこうした方がこの世界観の中ではより本物らしく見える」という処理が加えられることも少なくない。
最初にそんな話を意識したのはスター・ウォーズのエピソード6(1983)のメイキング時のエピソードを読んでいたとき、当時話題になったスピーダーバイクのチェイスシーンについて。背景は高速度カメラで実際の森の中で撮影したものを使っていたが、単にキャラクターを合成するだけではしっくりこず、実写背景にあとから実際には存在しない効果を加えたところより本物らしく見えるようになったというエピソードがある。

さて、マジックの世界ではあるテクニック、例えばテーブルに置いてあるトランプを取り上げる動作のとき実際には見た目以上の何かを行うようなテクニック、を練習する際に良く聞くアドバイスとしてまずは実際にトランプを取り上げる動作を行ってみて、それを手本にその動きに近づくように練習すべし、というのがある。
これを完全に否定するつもりはないし、自分の頭の中で動作イメージを作れない場合は手軽に手本となる動作を手に入れる一手法であると思う。しかしそれを唯一の方法と思ったり、「実際にそれを行ったときの動き」を唯一無二の目指すべきゴールと捉えたり、さらには他者のマジックにアドバイスをするときに「実際にそれをするときにはそうは手は動かない」と言ってみたりするのは思考が画一化しすぎているなと思う。他のフェイクを生み出す芸術がすでに取り入れているのにマジックがまだなかなか目を向けられずにいる視点。
また、本当の動きを鏡の前で繰り返しているうちにそっちの方がぎこちなくよくわからないことになってしまう例も見る。さらにそもそも例えばフレンチドロップなんて練習を始める前に実生活であの動作をやったことある人の方が希だろう。
もちろん、マジックがその点に全く気付かずにいるのかというとそうではなくてデビッド・ロスのシャトルパスなどはフェイクが彼の演技の中では疑問を挟む余地のない説得力を持った動きとして成立している例と言える。リアルなときもあのリズムと流れでやろうと思ったらそのためにもまた練習が必要なくらい、リアルからは遠い動きだがあれを彼が一般的な意味でのリアルに寄せたらマジック全体がもっと怪しく不自然に見えてしまうことは容易に想像出来る。

マジックの演技での動作のありようは、例えば音楽においてある箇所にどんなフレーズを入れるかにも似ているかもしれない。どんなに良く出来たフレーズでも前後のつながり、リズムに違和感があればそこだけ悪目立ちしてしまう。如何にそこに溶け込んでつなぎ目が見えなくなるかが大事で実際の動作との距離がどれくらいかにのみ目を向けるのは必ずしも良い結果を生まない。
などと、よく知りもしない音楽を例えに出して書いてしまい、自分が知っていることを説明するためによく知りもしない分野を引き合いに出すのは何て筋が悪いのだろうと思ったのでした。気をつけます。はい。

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